★★★わいわいブログ★★★

  1. [AAAAA H]「ノックアウトマウス」でノーベル賞の博士は路上生活経験者
    特定の遺伝子の機能を失わせた「ノックアウトマウス」を作ることに成功、この技術は特定の遺伝子を働かないようにし、どのような影響が表れるかを調べるのに使われ、さまざまな遺伝子の機能解明を通じ、がんや糖尿病などの原因遺伝子も分かるようになり、生物学の基礎研究から医療の新治療法開発まで、幅広い分野の発展に貢献するという。博士の信条は「不可能なことは何もない」ということらしいが、われわれ一般が、すべてが不可能なことばかりということを考えればものすごい自信から来るエネルギーを感じますね。
    路上生活児からノーベル賞学者へ=カペッキ博士の波乱人生−米 10月11日17時1分配信 時事通信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071011-00000097-jij-int  【シリコンバレー11日時事】ストリートチルドレンからノーベル賞学者へ−。ノーベル医学・生理学賞の受賞が8日に決まったばかりの米ユタ大のマリオ・カペッキ博士(70)=米国籍=の波瀾(はらん)万丈の経歴に全米の注目が集まっている。  報道によると、博士はイタリア生まれ。第二次大戦中の3歳の時、詩人だった母親は、反ファシスト運動に参加したとして秘密警察に連行され、強制収容所へ送られた。母親は未婚で、マリオ少年は農家に預けられたものの、程なく農家の困窮した生活から脱出、4歳半で「路上に飛び出した」という。物ごいや盗みを働き、必死に生き抜いた。  転機は9歳の時。栄養失調で運び込まれた病院に、終戦で収容所から生還した母親が迎えに現れた。母子は親族の招きで渡米。マリオ少年が生まれて初めて登校したのは米国に到着した翌日だった。  名門ハーバード大で博士号を取得したカペッキ博士はその後、特定の遺伝子の機能を失わせた「ノックアウトマウス」を作ることに成功。病気の原因解明などに幅広く貢献する技術を確立し、今回の受賞につながった。  博士と旧知の教授は米紙に、博士は実現困難と批判されても、「重要課題を追究する強靱(きょうじん)な意志を持っていた」と語った。「不可能なことは何もない」が博士の信条という。
  2. [BBBBB ]福田内閣メールマガジン創刊
    人々のアドバイスとして、「何事も隠さず、説明すること」「間違いがあれば、行いをただすこと」「社会的に弱い立場の人たちが、普通の生活をできるようにすること」があげられ、このことを 「当然のことを一つ一つ当然としてやっていくことが、信頼を回復するための道であると思います。」というように書いてある。人々の声をよく聞く総理大臣という姿勢が良く見えている。書いてあることはわかりやすくてすばらしいことですがんばってもらいたいですね。
    <福田首相>メルマガ創刊 ネットデビューも低姿勢 10月11日22時12分配信 毎日新聞  福田康夫首相が総編集長を務める「福田内閣メールマガジン」の創刊号が11日、配信された。首相は冒頭、自らの国会答弁に「棒読み」「早口」などの批判が寄せられたことをあえて紹介。「できるだけ気をつけたい」と反省の弁からスタートした。「ネット社会デビュー」も首相の低姿勢ぶりが際立つことになった。
  3. [CCCCC]亀田大毅世界戦挑戦も敗退
    亀田大毅負けましたね。反則行為の繰り返しで減点され、観客からのブーイングが浴びせかけられ、亀田兄弟の試合では初めてのことです。チャンピオンの試合運びの上手さに経験不足の大毅選手があせって自滅した試合だったように思えます。 内藤選手防衛おめでとうこれからもがんばってください。
    内藤タイトル初防衛、大毅に圧勝 10月11日22時53分配信 読売新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071011-00000015-yom-spo  内藤は初防衛。最終回は挑戦者が反則行為で3点減点となり、王者が勝利した。  内藤は日本人選手の最年長防衛記録。亀田大はプロ11戦目で初黒星で、日本人最年少の世界王座獲得はならなかった。(観衆6000人)
  4. [DDDDD W]東京都知事選・参議院選への才能と情熱の人 立候補者黒川紀章氏死去
    妻の若尾文子さんが「まさかこんなに早く」といっているが、それは多くの人がそう思っていると思います。 ほんのこの間、自前の選挙カーで日本中に話題をばら撒いた当の本人が、亡くなってしまうなんて誰が想像したでしょう。 この一連の選挙出馬等が多くの人で言われるように、なくなる前に自分の総決算をするということであれば、そのやり方もさすがに大きく世の度肝を抜くものだったと思います。妻の若尾文子さんの「私っていい奥さんじゃなかったわよね」と言う死が迫った人への問いかけは、さすがに女優若尾文子を思い起こさせる言葉だと思います。思いもよらぬ黒川紀章氏の死に対してお悔やみ申し上げます。
    才能と情熱の人・黒川紀章さん、家族に見守られ逝く 10月12日23時33分配信 読売新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071012-00000115-yom-soci  あふれる才能と感性で、建築の世界を国際的にリードした黒川紀章さん(73)が12日、亡くなった。  晩年には東京都知事選や参院選に出馬するなど常に新しい分野に挑戦し、エネルギッシュに駆け抜けた。黒川さんを知る人たちは、口々に「残念だ」と死を悼んだ。  黒川さんの事務所関係者によると、黒川さんは東京都内の病院で12日朝、妻で女優の若尾文子さんら家族に見守られながら息を引き取った。2週間前から体調を崩し、3日前に入院したが、病床でも建築デザインのチェックを続けるなど、仕事への情熱を絶やすことはなかったという。  「おととい、何となく『私、いい奥さんじゃなかった』と言ったら、強く否定して『本当に好きだった』と言ってくれた。これが二人だけの最後の会話になった」。12日夜、若尾さんはこう言って悲しみをこらえた。

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  1. [DDDDD F]東京都知事選・参議院選への立候補者黒川紀章氏死去
    妻の若尾文子さんが「まさかこんなに早く」といっているが、それは多くの人がそう思っていると思います。 ほんのこの間、自前の選挙カーで日本中に話題をばら撒いた当の本人が、亡くなってしまうなんて誰が想像したでしょう。 この一連の選挙出馬等が多くの人で言われるように、なくなる前に自分の総決算をするということであれば、そのやり方もさすがに大きく世の度肝を抜くものだったと思います。妻の若尾文子さんの「私っていい奥さんじゃなかったわよね」と言う死が迫った人への問いかけは、さすがに女優若尾文子を思い起こさせる言葉だと思います。思いもよらぬ黒川紀章氏の死に対してお悔やみ申し上げます。
    「まさかこんなに早く」 妻の若尾文子さんがコメント http://www.sanspo.com/sokuho/071012/sokuho086.html  亡くなった黒川さんの妻、若尾文子さんは12日午後8時15分ごろ、東京・赤坂の自宅マンションでインターホン越しにインタビューに答え、「まさかこんなに早く急変するとは思わなかった。こんなに簡単に死ぬと思わないから辛かった」と言葉を詰まらせた。  若尾さんが一昨日、「私っていい奥さんじゃなかったわよね」と話しかけたところ、黒川さんが「そんなことない。そんなことない。本当に好きだった」と答えたのが最後の会話だったという。