気になるニュース! 12 月 27 日


ANews2     @2000年前の中国の夢膨らむ発見

@2000年前の中国の夢膨らむ発見 Wai

約2000年前中国を3分割し覇権を争った魏・呉・蜀の内最大を誇った魏の曹操の墓が発見されたという。
中には60歳代の遺骨も発見され66歳でなくなったという曹操であるのではないかと考えられているようだ。
この当時の日本は卑弥呼の時代で、卑弥呼は、魏に使者を送り、親魏和王の称号を送られている。
この昔々の時代に夢をはせることは楽しいものである。まだ知らない世界の一端が明らかになり、その当時の新しい見方が出てきてまた夢が膨らむということは楽しくうれしいものである。

三国志「曹操の墓」と断定…河南の墳墓、遺骨確認・副葬品の数々も
12月27日20時50分配信 サーチナ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091227-00000019-scn-cn

 27日付中国新聞社電によると、河南省政府で文化財の保護・管理を行う部署の省文物局は同日、安陽市安陽県の安豊郷西高穴村の「曹操高陵」を、三国時代に活躍した曹操(155−220年)の墓と断定したと発表した。「曹操高陵」内部からは、60代男性のものとみられる遺骨も見つかった。

 曹操の墓と伝えられている陵墓はほかにも多く、安豊郷西高穴村の“曹操”高陵を「根拠のない伝承」と疑う声も多かった。河南省文物局の陳愛蘭局長によると、墓の規模や状況などが当時の記録と合致し、内部の壁画も後漢末から魏にかけての時代のものと判断できた。

 最も有力とされた証拠は、「魏武王」との文字が刻まれた石牌が発見されたこと。記録によると、曹操は「魏公」ついで「魏王」に封じられた(地位を与えられた)。死後に贈られた諡号(しごう)は「武王」で、出土した石牌と一致する。

 なお、曹操は後に「魏の武帝」と呼ばれるようになったが、曹操を「武帝」と称するようになったのは子の曹丕が後漢の献帝からの禅譲(位を譲ること)により皇帝に即位してから。石牌にある「魏武王」は、むしろ曹操が死去した当時の史実に合致する。

 陵墓の墓室からは遺骨も見つかった。専門家の鑑定によると60代の男性。66歳で死去したとされる曹操と年齢面でも一致する。
 写真は、「曹操高陵」で発見された副葬品。めのうの装飾品などで、当時の工芸の水準と美意識を知る手掛かりになるという。

 魏・呉・蜀漢が並立した「三国時代」は、語り物や劇などでさまざまなエピソードが広く親しまれるようにった。それらを集大成したのが「三国志演義」。民間伝承や三国志演義で曹操は、漢の皇室を脅かし天下をねらう「冷酷無慈悲な敵役(かたきやく)」として描かれている。しかし実際には「すばらしい能力の持ち主で、新しい時代の到来を目指した人物」などの評価が定着している。(編集担当:如月隼人)


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